叩き彫

山田尚公の新作写真帳

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さればこそあれたきまゝの霜の宿

さればこそ
杜國の隠家を訪ねた折の句
坪井杜國は芭蕉の門下の逸材であったが、貞享2年(1685)に空米相場の罪で尾張藩を追われ
渥美半島に隠れ住み、元禄3年(1690)3月20日病に34歳で没する。
江戸時代にも今の会社経営と同じようなテクニックやセンスが必要だったようですが
責任の取り方が現代の世界経済と違うのが興味深いところです。
杜國はその人柄を多くの人に愛されながら薄倖の人生でした。
死罪が決まっていながら「蓬莱や御國のかざり檜木山」という句作を知る
尾張藩主のはからいで追放に減刑されたそうです。
杜國の人となりをこの句は簡潔に語ります。
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